クラウディレイン 著ターニケット
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♪☆Merry★Christmas☆♪
今日はクリスマスということで、

みなさんいかがお過ごしでしょうか┐(´ー`)┌

ちょっと忙しいので

どうしようかななと思っていたところ

久しぶりにターニケット氏の

作品があったので

それに頼らせてもらおうと思う( ̄~ ̄)ξ

それでは、始まり始まり~


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大阪人についてわかったこと


先日、とある用事で大阪に赴いたわけだが、初めての一人でゆっくりできる大阪の旅だったこともあり、じっくりと人間観察することができた。

以前より、同じ日本人でありながら、大阪の人はなにか違っていると、第六感的ではあるが感じていた。テレビでも、大阪弁という方言で話すことの許される存在。彼らはいったいどう違うのだろう。

結論から言うと、彼らは皆、お笑い芸人のようだ。
何を今更と思うだろうが、一言でまとめるとしたらやはりこの言葉に限ると確信している。
もちろん、テレビで見るお笑い芸人の多くが大阪弁を駆使しているという点も、そう感じさせる要素であるが、なぜ彼らが芸人に向いているか、という点も含めて、もっと掘り下げた内容を書いていきたいと思う。
因みに、私がここで意味する「大阪人」とは、私自身が大阪にて目の当たりにした人々の大部分を占める共通の性質を持つ人のことで、大阪生まれ、および大阪暮らしをしている人すべてのことではない。例外のない法則がないということだ。

先に述べたが、大阪に来た人誰もが気にとめるのが、彼らの話し方だ。
何度か信号待ちのときに、そこで出くわした見ず知らずの大阪人通しが世間話をする光景を目撃した。商人にしてみると、どんな小さなチャンスも見逃さない商い魂の表れだと簡単に説明がつくが、(大阪の)一般人にとって、その会話の必要性だとか、そんなものは一切ない。その余計な社交性が大阪人が何たるか、なのだ。言い換えると、大阪人とは、その土地に古きより伝わる商人魂を今尚持ち続けた人の姿なのだ。

しかし、羽を持っているが飛ばないペンギンのように、一般の大阪人は、商人魂こそ持ってはいるが、商人ではない。
もう一度言おう。彼らはペンギンのような存在だ。ダチョウではない。
ここでちょっとした生物の話をしたい。
ペンギンとダチョウ。知ってのとおりどちらも飛べない鳥類だ。
といっても、違うところだっていろいろある。生息地、食べるもの…。だが今回は、羽の使い道に注目したい。
ペンギンの羽は、空は飛べないものの、水中の翼、水かきとなって羽ばたく場所を空から海に変更している。泳ぎ方はまさに、飛んでいるようだ。水中で揚力を巧みに使っている。
一方、ダチョウのほうはというと、羽はせいぜい温度調節と求愛のポーズにしか使われていない。

話は大きく逸れてしまったが、私が言いたかったのは、大阪人は商人魂をダチョウのようにおまけ的な要素として残しているのではなく、ペンギンのように使い道を変えて大変有効に使っているということだ。
大阪人の大海原は、「お笑い」の世界なのだ。どこまでも上を求め続ける商売の空から、まだ見ぬ深み、「笑い」の海へと舞台を変えて尚、商売魂は有効に使われているのだ。
わかっていただけただろうか。ここまでの私の意見がわかっていないと、次の意見に進むとより混乱してしまいそうなので、時間をかけて説明してみた。
それでは次へ進もうと思う。

商人魂なのだから、商売人に見えたというべきでお笑い芸人に見えたと結論付けるのはおかしいのではないのか。と、ここまでの展開では思うかもしれない。しかし、ペンギンの翼が翼という名の水かきの様に、大阪人の商人魂は、商人魂という名の芸人魂なのだ。
たとえば、街角の店で、録音された音声がこう繰り返していた。
「クリスマス特価!カバン!ブーツ!財布!なぁんでも安いよ!全品本皮ですから、叩いたり、匂いを嗅いだり、舐めたりしなくても大丈夫ですよぉ!」
商売の策として、わかりやすい説明で、良いものではあるが、はっきり言って一言多い。
その多さは、商売策のためというより、親しみやすい表現のためというほうが適切ではないだろうか。そう、大阪人の商売魂は、進化とも退化ともいえない変化を遂げて、商売目的を上回る目的、ウケ狙いのために活躍しているのだ。

ここまでで、彼らのもつ強い人間性について徐々に理解してもらえたと思うが、至極当然、この人間性は彼らの発声する言葉のみに収まるものではない。私には、たとえ黙っている大阪人からさえも芸人魂を感じた。では彼らは、いつもとんがり帽子をかぶり、鼻眼鏡をして歩いているのか、というとそういうわけではない。彼らの外見は至って普通だ。普通であるが、大阪人の外見は、たとえば東京人のそれとは似て非なるものである。芸人魂というのは、他人から笑われるための軽い魂というものではない。普段外見から醸し出される大阪人の気質は、何なのであろうか。

じっくりと観察してみよう。

まずはサラリーマン。当然、スーツ姿だ。電車を待っている彼は、グレーのスーツだ。髪の毛はそろそろ散髪したほうが良い程度の長さ。身長は175くらいだろう。茶色いかばんを持っている。しかし、どうしても気になるのは、彼の肌の色がスーツより濃いということだ。

地下鉄に乗ると、向かい側には初老の奥様が座っておられる。背は少し低めの150ほど。青と白と紫を基調としたバランスの良い服装だ。総合的にいうと厳かな雰囲気を持った婦人だ。だが、携帯ストラップがピカチュウだ。

限がないので、二人だけにしておくが、彼らは普通の中に歪を含めている。あえて自分の大部分を普通で包み込むことによって、視界は歪な点に集中する。そしてその歪な点こそが彼、彼女自身なのである。芸人風に言うと、キャラ作りである。
キャラ作りをするという行為からは、意識的であろうと無意識であろうと、自分は周りからこう思われたいという意思がうかがえる。そういった意思を持つに至るまでには、彼、彼女自身の存在意義について思いをめぐらせる必要性があると考えられる。私はこういうことが向いているから、あぁしよう。例えば、ボクはアクティブなサラリーマンだから肌を焼いておこう。や、私は茶目っ気で満ち溢れているからピカチュウは欠かせないわ。などなど。自分のアピールポイントを知っていることが大前提だ。ここはアピールポイントが謙虚さのみという、自己不信甚だしい日本人にとって見習うべき点なのではと思う。

そういったある種の自分に対する自信は、彼らの背筋にまで表れている。前回の東京への旅の記憶と比べてみても、大阪人は格段に姿勢が良かった。背筋を伸ばして、胸を張ってまっすぐ前を向いて歩いている。この事実に気づいたとき私は感動した。本当に姿勢が良いのだ。お婆さんが若々しく見えたのはそれが原因だったのだ。

延々と述べてきたが、やはり結論は同じ、大阪人はお笑い芸人なのだ。いや、むしろお笑い芸人が大阪人という考え方のほうが数学的に正しいのかもしれない。関数の中に比例があるように、お笑い芸人とは大阪人魂の中でも他人を笑わせるという部分が特化した人物であるのだろう。

数学の話が出たので、物はついでに述べておくと、年齢が若くなるにつれて大阪人の割合が減っているように思える。年齢と大阪人の人数はおおよそ比例関係にあるのだ。それは、情報社会による小さなコミュニティの意義の喪失に関係しているのかもしれない。

                         著:ターニケット

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電車にて
先週起きた出来事についてまとめたいと思う。

それは9時を過ぎたあたりだったろうか、私はするべきことをやり終えて帰路についていた。

この時間帯には片田舎へ向かう電車でもどこからともなく大勢の乗客が集まる。
その日も例外なく電車は満員であった。

夕刊を読んでいる会社員は家族のために残業をして、明日の仕事のことを思いながら足を組み直す。

彼の隣に座っているOLは週刊誌に釘付けだ。

吊革に掴まっているあの学生は塾のノートを開いているが、窓ガラスに映る自分の髪形が気になって仕方がないようだ。

優先座席の女子高生は携帯を片手に絶え間なくしゃべり続ける。

今入ってきたカップルはーー余計なお世話だがーーあとどれくらい長持ちするのだろうか。

余談はこれくらいにしておこう。

わざわざあなたに伝えるべく私の指をキーボードの上で躍らせる主役は、あなたの予想通り今挙げた人々の誰でもない。

タキシードに身を包み、花束を両手に抱えた中年の男だ。

花束のお陰か、幸いにも彼は「不審者」と表現するまでもなく、「おめでたい人」で止まっている。

私が乗車する以前から私の隣の席で爆睡している「おめでたい人」は、それからまだ7駅も眠り続けた。

目を覚ました彼は、まだ完全に開かない目で○○駅と書いてある看板をまじまじと眺めていた。

きっと乗り過ごしたのだろうと思い、私は知らぬ振りをする覚悟を決め、携帯電話と向かい合う。そんな覚悟も空しく彼は私に話しかけてきた。しかし、今一度考えてみると、歪な存在が正の存在に話しかける確率よりは、同じ立場の人間に話しかける確率のほうが高いのは至極当然のことかもしれない。

話が逸れてしまったが、彼の質問は、××まであとどれくらい掛かるかという内容であった。

この「おめでたい人」は、寝過ごしたのではなく、最初から××とは反対方向へと走る電車に乗っていたのだ。

できるだけ優しくそのことを告げると、なぜか彼はそれを否定し始めた。彼によると、この電車には、駅員につれて来てもらったという。

それはとんだ駅員だと思い、どこの駅かと訪ねてみると、不思議なことに、それはここから3駅先の駅であった。

そして私は気づいてしまったのだ。
「おめでたい人」は本当に乗り間違えたのではなく、寝過ごしたのだ。

彼は一度、この電車の終点である××に到着した後、それでも尚寝たままで、車掌も確認しなかったのだろうか、折り返してここまで来てしまったのだ。

謎がすべて解けたとき、私たちは大声で笑ってしまった。
最初から歪な存在である私たちは輪をかけて乗客という役を逸脱していた。
打ち解けたところで、私はその奇天烈な仮装について問うてみた。

なるほど彼は結婚式の帰りらしい。文字通り「おめでたい人」だったのだ。そこで飲んだお酒が永い眠りへと誘ったのだろう。
結婚式から一人で電車で帰る彼は、生徒の式に呼ばれた独身教師といったところだろうか。即席の仲ではそこまで込み入ったことは聞けなかった。

私は次の駅で××行きの電車の来る乗り場を丁寧に教えて彼とお別れをした。

一人取り残された私は、どこからともなくやってきた充実感に笑みを浮かべる「おめでたい人」となっていた。

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